2017年09月19日

燕の光と影が戦うWBC

陽の当たる人の足元には、影が出来る。
その影は、人の動きに合わせ、形を変え、位置が変わるごとに大きさも変える。

光と影。
この言葉は、いろいろな世界のライバルに使われる比喩でもある。


今、行われている野球世界一を決めるワールド・ベースボールクラシックにも、その例えにぴったりの二人がベンチへ入っている。
メジャーリーグから唯一参戦した青木宣親と、スコアラーとしてベンチ入りした

スワローズの志田宗大だ。

2001年のドラフト会議、志田はドラフト8位という低評価でスワローズに入団する。
同年1位は青山学院大学で同期の石川雅規。
志田の指名を「コネ入団」という人もいた。


しかし志田は、ルーキーイヤーにファームで3割以上の打率を残し、一軍昇格を果たしただけでなく、初安打、初本塁打も記録し、その汚名を返上した。
そして翌年、背番号も67から0へ変更。
2年目こそ試

合数を減らしたが、3年目には91試合、レギュラーの足掛かりをつかんだ。
追い風も吹いていた。
レギュラーであった稲葉がFA宣言によりファイターズへ移籍。
ただ志田よりも風を受けていた選手がいた。


その風の勢いは志田を吹き飛ばすほどの威力を持っていた。

当時の若松監督は、空いたポジションに志田と2年目を迎えた青木の併用を考えていたという。
春のキャンプで故障発生、それにより若松

監督の外野構想は青木一択となった。
青木はシーズン序盤こそ苦しんだが、途中から加速。
リーグ初の200安打を達成、首位打者、新人王を獲得。
風は、青木を陽の当たる場所へ運んで行った。


/>逆に志田は、影を追いやられてしまう。
決して成績が悪いわけではない。
ただスワローズの外野には、4番を務めるラミレスがおり、その不安から守備固めの選手をベンチへ置いておかなければならなかった。


勝っていれば試合後半、負けていてもラミレスが出ている以上、代打に出ることもない。
2007年59試合に出場した志田だが安打は0。
これが志田の役割を最も表した数字だろう。

青木のその後

は、語る必要もないほどだ。
2度のシーズン200安打、首位打者3回など、タイトルを複数獲得し、プロ野球を代表する選手になっていく。
そして2010年”ミスタースワローズ”の象徴である背番号1を背負う。

/>その年、志田の出場試合数は1。
引退するために与えられた1試合だった。

一年140試合以上、また多少の入れ替えがあっても同じ相手と対戦するプロ野球では、ユニフォーム組だけが戦っているわけでは

ない。
青木がメジャーの生存競争の中でもがきながらも這い上がっていく中、志田もまたユニフォームを脱いだものの、グラウンドではない場所で戦い続けていた。

その2人が2017年、同じベンチにいる。


青木はチームを牽引するベテラン、そして唯一のメジャーリーガーとして。
志田は日本代表のスコアラーとなり裏方として支える存在として。

影が光を受ける人を動かす。
実際にはあり得ない

が、スコアラーというのは、そういう存在なのかもしれない。
データのない相手と対戦する選手にとって、スコアラーは頼みの綱だ。
志田はたしかに影ではあるが、この大会では光を操る存在になった。

/>
志田はもちろん、青木もエリートとしてプロ野球の世界へ飛び込んだわけではない。
共に泥臭く這い上がってきた選手だ。
しかしちょっとしたズレが道を変えた。
そんな2人が時を経て、同じ場所

でそれぞれの役割を得た。
華やかに扱われるのは選手であり、スコアラーはあくまでも影の存在。
まるで青木と志田のプロ野球人生をそのまま表しているようだ。
ただ今の2人に、かつての争いは存在しな

い。
勝利を目指すという目標を共有する、チームメイトである。

青木と志田は、スワローズに一時生まれた光と影だ。
その道は、それぞれに向きを変え作られてきた。
それが、今平行に同じ方

向へ向かっている。
これもWBCの期間だけ、一時のことだ。
ただこれまでの2人の道のりを思うと、少しでもその時間が長ければと願う。

光あるところに影。
ドラマは光だけでは成り立たない。


影があってこそ、その華やかさが増す。



Posted by found at 12:54│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。