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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年06月23日

とうとう作ってしまったジンジャー?ジャム

一般的かどうかはわからないが、この世にはジンジャー?ジャムというものが存在する。
 スーパー?マーケットで目にすることはないかもしれないが、試しに楽天でジンジャー?ジャムを検索すれば、ミックスジャムを含め、ジンジャーを使ったジャムがたくさん並んでいる。
 ずいぶん前にジンジャー?ジャムは食べたことがある。
 おそらくは外国産だったのではないかと思うが、物珍しさもあって買ってみた。ジャム作りを始めるよりも、ずっと前のことだ。
 ジンジャーはもちろん生姜のことである。
 ジャムとはいえ、トーストに塗ってみたら、これが辛い。しかも、350gくらい入っている瓶だったので、なかなか減らない。
 舌をヒーヒーさせながら、食べた記憶がある。
 そのときの感想は、「誰がこんなものを好き好んで食べるんだ? やっぱ西洋人は日本人とは味覚が違う」だった。
 いや、生姜はもともとが薬用なので、西洋人も薬のつもりで食べているのか? 健康食品みたいなもんか?
 
 何年か前に、いつも手作りジャムをプレゼントしている兄から、「ジンジャージャムは作らないの?」と聞かれたことがある。
「ジンジャージャム? あれ、辛いでしょ」
「リンゴとか入れればそうでもないよ」
 そう言って、兄が市販のジンジャージャムの瓶を持ってきた。どうやら、ジンジャージャムが好みらしい。
 何でわざわざジンジャージャムなんか、食ってんだろう? 健康食品のつもりか?
 そうは口には出さなかったが、「そうねえ???」と言って会話を打ち切った。
 ミックスジャムは作ったことはあるが、基本はミックスは作らないことにしている。
 オレンジとグレープフルーツの柑橘同士のマーマレードや、もともとミックスされて売られていた冷凍のベリー類でジャムを作ったことがある。
 それぞれの味が融合し、マイルドな味になって美味しいことは美味しいのだが、何となくぼやけてしまう気がした。
 ジュースでも、昔はミックスジュースが好きだった。
 オレンジジュースなど、酸の独特の刺激があってピリピリ、刺々しかったりするが、ミックスジュースはその刺激が緩和されて、マイルドで美味しい。
 しかし、最近はそのマイルドさが物足りなく、中途半端な気さえして、あまり買って飲まない。飲むなら単一の果物を搾ったジュースの方が、個性がはっきりしている。
 そんなわけで、作るならあくまで単一のジンジャージャムと思っていたわけだ。
 ホームページに載せるためにいろいろなジャムを作っているうちに、ジンジャージャムの項目がないことが気になってきた。
 来年の春、新生姜が出てきたらジンジャージャムを作ってみよう。そう思ったのは、去年の秋だった。
 そして、やがて新生姜の季節が近づいてきた。
 ???と、ここまで書いたところで、すでに長文になっていた。
 ジャム作りの話を前後編に分けるのもなんだとは思うが、次回に続く。  


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2016年06月01日

おもしろい

あああ。またまた駄文を連日、アップすることになる。

かつては、アップすることを日課とし、励みとし、
アップしなければ、皆さんから忘れられるような、根拠の無い焦燥感のようなものも抱いていた。
まったくの幻想であった。
思い込み、とも言う。

「皆さん」って、なに?
自分が勝手に創り上げたものに他ならない。

その思い込みは、自分の中で解決した今日この頃。
氷解した。


で、???他のサイトをちょっとうろうろして、ため息。
なにがため息かというと、面白くないからだ。
しかし、自分が行くサイトに集まる人々の書いているものが面白くないだけであって、
自分のチョイスが良くない。
ただ、それだけだ。

もっと面白いサイトは山のようにあるのに、そこに行かない自分が悪い。

書くのもハバカラレルような感想が次から次へとアタマに浮かぶ。
書きたい衝動を抑える。
最近は、サイトにアップしている誰かの記事にコメントをつけて、そのままアップしないことが多い。
まあなんと、建設的でない虚しい無駄な時間の過ごし方。
それをわざわざ文字にして、自分の蝶ブログに書く意味???まったく、ない。

自分は唯一無二。
他の皆さんも、それぞれ、唯一無二。
世の中、唯一無二だらけなので、そういう人々と考えや感性が同じなわけがない。
奇跡的ピンポイント的接点はあるにしても。

ひとりで、突っ込んでみても、じつにくだらない作業である。

嫌なら見なければいいのに、なぜ、見に行くのか。
そこに、得体の知れない、(解明できるけれど、したくない)根源がある。

自分は、「こういう人が大っっっ嫌いだ」と確信を強めるのには、意味があり、意義深い。

なんでも、意味の無いものは無いってことだ。

しかし、貴重な持ち時間。
人生の残り時間がカウントダウンされるっていうのに、暇つぶし?

わたしの小学校の担任の先生が、「人生は死ぬまでの時間つぶし」とよく口にしていた、とリアル時に話題にあげると、
こう言った人がいる。
「人生は、死ぬまでの憂さ晴らし」

なるほど。

憂さ晴らしは、暇つぶしより、ずっと良いに違いない。

嫌なものや、嫌いなものには近寄らず、
絶えず、面白いと感じることに接して、自分を面白がらせる。
「面白い」は、そうとう深い。

あああ。今日の記事、論点が、ぼやけて、シャキシャキ感がゼロである。  


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